二極化・極貧

お金持ちと貧乏人というのがきれいに二極化されている、乃至今後も二極化がはっきりしてくるというのは本当のところはどうなんだろうと思います。いわゆるエリート層などといわれる方々はすなわちその方法をそう簡単に他人におしえないからです。これはおそらく永遠に受け継がれてきた秘伝でありこれまでもそうだったしこれから先もその秘伝を貧乏人におしえることはないでしょう。これは実に不思議なことで、夫は妻にさえその秘伝を伝授しないというような文化があるからです。
私の周囲にも夫の給料や収入がどれぐらいであるのか知らない人がたくさんいますし、通常の会社員は会社の収支の詳細を知り得ることができません。妻は節約を求められ社員は利益を求められるのみで、それ以上でもそれ以下でもないのです。この構造は詰将棋のように巧妙に仕組まれていて法律が許す範囲内である程度のトレードオフと脅迫によって脈々と営まれているのかもしれません。
私自身も理想的な共産主義というものは全く眉唾だとは思うものの北斗の拳のような究極的な修羅場というが最終的な自由主義の
姿、あるいは本来の姿だとも思いませんが、二極化の原因というかその要素をまとめてゆきたいと思います。

グレーゾーンが縮小する

いわゆる中産階級といわれていた階層がこの先縮小してゆくんだと思います。アメリカの人口の1%の人間の資本が全人口の50%を占めるなどという噂は本当だか嘘だかわからないとしても、まんざら嘘ではない話です。とはいえ莫大な資本というのはその資本投資されている会社や組織の人員に依存していることになるので、純粋にその資本が本人のものであるとは限りません。あるいは法的にその本人の所有権が有されるとしても実質的な資本はその時点でそれなりに配分されているということがあります。ただそんな中でもその配分の権利がないとしたら自己の資本をコントロールすることがないので、結果的に法的な所有者に資本が帰属するということになります。
この配分・再配分というところでは誰がそれを行うのかということになります。アメリカのような自由主義・市場主義が極端に発達した原因は配分・再配分という行為の法律や政治が介入できる範疇が非常に狭いわけです。つまり税金が安い。反対に北欧の国々は全く反対の理想で国を運営しています。
マクロ的にみる政治の介入は国の維持・権力の維持という意味では大切なことなのです。政治権力の微妙なバランスは「殺さず生かす」にあり、巧妙なトレードオフがその真髄になります。問題はその巧妙なトレードオフが気持ちがいいか悪いかみたいな程度の低い思考回路でもって運用が可能かどうかみたいな話になってきます。いわゆる騙されるか騙されないかみたいな程度の低い問題です。
つまるところ、気分を害することが経済的なトレードオフの云々の左右するとなると、グレーゾーンの縮小は精神的乃至感情的なトレードオフと密接な関係がありそうだと私自身は思っています。精神や感情といった目に見えない部分をコントロールできるかできないかで経済的な格差が生まれてくるわけです。

教育の問題

富裕層の一族は富裕層であり貧民の一族は貧民であり続けるというのは、どういうことなのか。ひとえに教育の問題というのがあると思います。世界の仕組みをどのように理解するかという問題が経済の格差につながり、この世界の仕組みが「秘伝」の一部といっても過言ではないと思います。
例えば労働という概念は性的な概念同様に非常に偏ったモラルが伴っています。それは人間関係そのものであり、他人の時間をいかに利用するかであり、生産されたものが誰の所有物であるのかであり、その生産されたものが誰に帰属しその交換価値が誰によってトレードオフされるかなのです。女性蔑視の格差社会ではその交換トレード自体を女性が担うことが許されないでしょうし、むしろ女性がそれを担うことを恥とする文化(教育)が存在するわけです。
教育はその人間の行動範囲を規定します。その規定が完全に富裕層に有利に働いているというのが格差問題の根本にあるのだと思います。

精神病と貧困

精神医療の問題は、貧困問題であり、階級格差の問題である、と喝破したのはフランコ・バザーリアだったのですが、これらの問題は問題提起を超えて事実そのものになりつつあります。
精神病の代表格、統合失調症は実際のところ過去に比べて減少傾向にあります。しかしながら精神病と診断されないグレーゾーンの精神病、すなわち人格障害、気分障害、境界例といわれるものは増加傾向にあるといわれています。(非常に統計が取りづらい側面があるのですが)それらが原因であるとすれば、ますます二極化は進行するだろうと思います。精神病のその特性は、自分が正しいと信じている、というのがそのコアにある以上もうどうしようもないといった見方すらあるわけです。さもあろうことに故河合隼雄氏はカウンセリングは等価交換、つまり有料であるといったことをきちんといってます。貧困が進む中でもそれに加えて有料なのです。しかしこれも何かしらの違和感や生きづらさを抱えた半ば正常な方々に開かれた場としての心理カウンセリングであるとすれば、本来の潜在的精神病、自身の方法が正しいと譲らない人々には手の届かない場であるわけです。