サディズム

ミッシェル・フーコーにいわせると、

私の眼にはサドという人間が規律本位の社会、つまりきちんと時間割がなされ、空間が基盤目状に区切られ、服従と監視の体制がとられた規律ずくめの解剖学的な階級社会に特有のエロティスムを仕立て上げた張本人だとさえ見えなくもないんです。-サド、性の法務官-

とうことになっています。平たく言えば貧乏人には向かないということです。逆にいうとそれゆえに魅力的な性向なのかもしれません。統制すること、支配することの憧れ、統制されること、支配されることの憧れはこのようなバックボーンがあるのだろうと。これは貴族的で雅な文化だからです。

かたやニーチェは、

貴族道徳。ドイツの哲学者ニーチェが提示した哲学概念。「君主道徳」とも。強い力を持つ支配層が、自己(強者)の立場を肯定する道徳。「善(肯定)」を決めることで、「悪(否定)」が決まる。強い者が、快楽を満喫して、富を蓄えて、人を率いることを正しいとすること。

貧乏人がとやかく言うなと。貧乏人にはSMの世界はなかなか馴染まないということになりますが、仮に貧乏人がこのような世界観に興奮するとなれば本当にそれは妄想の世界ということになりましょう。