裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心

学生時代の歴史の授業というものがいかにつまらないものであったかというのが残念なところではあるんです。歴史は事件の時間的羅列であるとともに文化の時間的変遷と実際に生きていた人間の記録なんです。そしてそこにはある種の見解が生じる。教育の難しいところはその見解が生じる寸前で見解がある方向に固定されるように仕向けるというなかなか小賢しいものがあるわけです。
実際にどうだったかわからないけれど中臣鎌足と中大兄皇子は本当に本来の天皇家だったのか?むしろ暗殺された蘇我蝦夷が何らかの正当な血筋だったのではないか。いやそもそも血筋とは何なんだろう。北朝と南朝はどっちが正しい血筋なのか?血筋?
いろいろ考えるとバカバカしくなるのも歴史のよいところなのです。

ペリーの日本遠征に随行した画家の「下田の公衆浴場」という絵には、全裸の男女が秘所を隠すこともなく混浴の浴場でくつろぐ様子が描かれている。若年や中年の男女が多いが、誰も互いの裸体に欲情していないし、恥ずかしさも感じていないことがみてとれる。この絵を見たアメリカ人は日本人を「淫猥な人たちだ」といい、フランス人は「日本人に羞恥心はない」といい、オランダ人は「男女の性別を気にしていない」といって驚き、そして軽蔑した。

150年前の日本では「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」のは普通だったのだ。江戸時代の日本人にとって、裸体は顔の延長のようなものであり、現代人の我々がスッピンの顔を見られても恥ずかしくないように、裸を見られても平気だった。

江戸時代の日本人がいかに裸に対しておおらかだったか、具体的な記録から明らかにされる。若い娘が道端で裸で行水をしているのを見て度肝を抜かれた外国人の日記や、坂本竜馬が妻(お龍)と男の友人の3人で京都の混浴浴場へ出かけた記録など、現代人の感覚とはかなり異なる意識が常識だったことがよくわかる。

ところが開国によって西洋文明の視線にさらされたとき、明治政府はこの風習を西洋に劣るものとして改めなければならないと考えて「裸体禁止令」を法律で定めた。また登場したばかりの写真技術が裸体を日常品の裸から、鑑賞の対象物としての「ハダカ」へ移行させた。

「明治政府によって強制的に隠された裸体こそが「見るなの座敷」であった。そしてこれが正しいとすると、神話や昔話が説くように、隠された裸体は覗きたくなり、やがて約束は破られる───。明治から現代に至る日本人の裸体は、まさに神話や昔話と同じストーリーをたどることになる。」

隠されれば見たくなる。そしてハダカは性と結びつき欲望の対象へと変化した。見られる方も、隠すことが常識になった途端、人前にさらすのが恥ずかしくなる。それまでのオープンさの反動のように、明治の日本政府は裸体に対して敏感になり、禁止や検閲を厳しくする。人々の意識は大きく変容し、明治も26年にもなると画家 黒田清輝が女性の水浴びを描いた「朝妝」が風紀を乱すものとして物議をかもした。政府ではなくメディアと世論が裸体画に異を唱えていたのだ。

性が再び解放された現代でもアダルトビデオでは秘所をモザイクで隠している。そもそもハダカが商品になること自体が、この明治政府の西洋化政策の影響の延長にあるといえるだろう。私たちは、異性のハダカに欲情してしまうことを、自然の摂理だと思いがちだが、実はこの日本においては、つい150年前まではそうではなかったという意外な事実がわかる啓発的な本だ。ハダカヘの欲情は文化発祥なのだ。

子供への性教育でもこれを教えたらいいのではないだろうか。



http://www.ringolab.com/note/daiya/2010/08/post-1281.html
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